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引き際の美学
皆さんは、引き際という言葉を聞いてどんな人の事を思い浮かべますか?やはり舛添さんでしょうか?政治資金の一部を生活費に使っているといわれて、すぐ謝らず「何も悪い事はしてません。全てきっちり処理しております。」なんていうものですからテレビや週刊誌のレポーターがうわぁ~と押し寄せて追及され、結局最後は追い込まれて、いやいや辞任させられました。ベッキーさんもそうでした。最初の記者会見で嘘をついたために、ずるずる事態を長引かせて、かえって印象を悪くしたように思います。 とにかく最近テレビを見てると往生際の悪い人のニュースが多いのですが、少なくても昔は、きれいな引き際の方がいらっしゃったと思います。私の中では誰が何と言おうと、山口百恵さんです。当時人気絶頂の21歳、突然結婚と同時に引退します。今でも忘れません、武道館ファイナルコンサートで最後の曲を歌い終わった後「幸せになります」とファンに言ったそのマイクをステージにおいて文字通りスターの座から降りて行きました。少し前ではサッカーの中田英寿さん、日本代表選手まだ29歳の若さでしたが、ブラジルワールドカップ終了と共に引退します。その最終戦でブラジルにボロボロに負けた後グランド中央であおむけに倒れこむその姿は、「俺はもう全てを出し尽くしたー」という気持ちが全身から溢れ出てる様な美しい引き際でした。

さて実はここからが皆さんにお伝えしたいところです。私が今回引き際について書こうと思ったきっかけは、なにも舛添さんじゃありません。もちろんベッキーさんでもありません。実は最近、仲の良かったテニス仲間を病気で無くしました。で、その方の死にざまといいますか、人生の幕の下ろし方を目の当たりにして、ああこんな人がいるのか、と深い感銘を受けて、それから引き際というものについて考えるようになりました。

私より一回り上で60前の方で、同じスクールに奥様と一緒に通われていて、お互い初心者だった事もあり、親しくさせて頂きました。スクールの生徒さんの平均年齢が大体20~30台でおまけにコーチは二十歳です。そのなかで痛風の持病のせいだと言って、いつも右足を少し引きずりながら、それでも真剣に汗だくになってテニスをしていた彼は相当浮いていましたが、とても魅力的でした。腕っぷしが強くて力任せで打つ悪い癖がなかなか治らず、自分の子供くらいの若いコーチにからボロカスに叱られても、「わしゃどんくさいからあきませんわ!」なんて笑いとばし、テニスが終わると大好きなアルコール補給のためなじみの居酒屋に一直線という様な大変豪傑な方でした。そんな性格にも魅力を感じて、時々一緒に飲みに行くようになりました。
昨年6月に飲んだ時に、体調が悪そうでひどい咳をされていたので、
私 「大丈夫ですか」
彼 「大丈夫大丈夫、これ喘息ですねん。」
私 「あーそうなんですかー。じゃ病院にかかられたんですね?」
彼 「いぇー、ワシ病院なんて行ったことないですわー」
なんて会話があり、まぁその人らしいといえばらいしのですが、それじゃいけないってことで、とにかく一度、病院行って調べてもらってください。もしそれが本当に喘息だとしたら、いまは飲み薬だけでなく吸入する1日1回シュッと吸うだけの良い薬もありますから、きっと良くなりますよ。と強く勧めました。で、それからレッスンに来られなくなりました。しばらくして夫婦揃ってスクールもやめらました。
心配になってメールを送ったものの返事がきません。でもまぁ、今は治療中で元気になったら戻ってきて、また一緒にテニスしたり飲んだりできるだろう、なんてなんとなく考えて、それ以上の連絡は控えておりました。
すると今年2月に突然奥様よりメールが届きます。そこには、「主人が肺癌で亡くなりました。生前は大変お世話になりました。」と書かれていました。えっ?びっくりしました。。と同時に、何故亡くなる前に教えてくれなかったのだろう、分かっていればせめて励ましにいってやれたのに、と正直憤りも感じながら、電話をかけて奥様に連絡をかけ、後日彼の自宅兼職場(彼は奥さんと一緒にカバンを作る仕事をしていました)に伺って事情を聴きました。
昨年6月に私が病院受診を勧められたその翌日に大きな病院を受診したそうです。そこで全身のCTを撮ってもらって出た診断が、肺癌の末期、肝臓や脳にも転移して、余命半年とその日に宣告されたそうです。その日の晩、彼は初めて奥様の前で泣きました。その時、施設の子供たちに自分の持っている技術を教えて独立を支援する活動を始めたばかりで、それができなくなる事が何よりもつらかったそうです。でもその時彼は、とにかく誰にも言うな、周りに心配をかけるのは嫌だからと病気の事については固く口止めされたそうです。 自宅で夫婦でカバンを作る仕事をされ、内職スタッフもたくさん抱えていました。そのスタッフにも最後まで病気の事は隠されていましたが、亡くなった後にお別れの会を開くように奥様に申し付けていました。スタッフはその会で初めて亡くなられた事を知ったそうです。その時スタッフに配られた彼からのメッセージを見せて頂きました。そこには、彼を襲った非情な運命に対するつらさ、嘆きの言葉はかけらもなく、自らの病気を自虐的に笑いとばしながら(例えば、癌が脳にも転移していたみたいです、自分が時々訳の分からんないボケをかまして皆さんを困らせたのは、決して私のせいではなく癌のせいでした笑とか)、そして自分は勝手気ままな旅に出るから、その後は自分の妻が引き継ぐので、どうか彼女をみんなで支えてあげてほしい、そしてどうかこれまで通り団結して欲しいと書かれていました。
そのメッセージを読みながら、あの明るくて優しい彼の面影が脳裏に浮かびあがりました。そこに私は彼の心を見ました、いきなり余命半年を宣告された時、彼が一番思い悩んだのは自分のことではなく、自分が死んだ後の事、特に奥様の事だったと思います。だからこそ心身ともに疲弊している中で、スタッフを動揺させない様にしながら、奥様に仕事を引継いで、そしてお別れの会とメッセージまで準備したのではないでしょうか。
私からのメールに返事していない事もを最後まで気にされていました。本当の事をいえばいろいろ迷惑をかけるし、かといって嘘はつきにくかったようです。
自分亡き後を考えることと同時に、彼は死ぬ間際まで自分らしく生きたかった。病人扱いされ、周りから同情されながら死を迎えるのなんか真っ平御免だったに違いありません。亡くなる1ヵ月前の職場で撮った写真を見せて頂きました。痩せ衰えていましたが、表情・そして目は以前と変わらずギラギラしていました。入院も最小限にしてもらってギリギリまで自宅で普段通り生活し仕事もされていたそうです。

人生においても自分がどうしても到達したかった何かを断念する、自ら幕を下ろし次に向かわなければいけない様な場面が何度かあるはずです。そこでどう判断してどう引き際を作るのかは、その時の心のありよう、かっこよく言えば「生き様」が現れてくるものだと思います。つまり引き際というものが、実はその人が一番大事にしている信条・信念を映し出す鏡であり、引き際を通してその人の心が見えてくる様に思います。

引き際は生きざま、そして死にざまにもつながります。
亡くなった友人のお墓参りさせて頂き手を合わせた後、彼の様なあざやかな死にざまを、果たして自分ができるのか、そのような生き方を今自分がしているのか自問自答した時、日々の生活に追われて、一番大切にしないといけない自分の心と向き合うことを忘れていたような気がしました。それはつまり自分がどんな生き方をしたいかということです。
彼が人生の引き際を通して、私にその事を教えてくれたような、そんな気がしました。

2016-07-03 15:04:45