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事務長の独り言

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難病研修を受けて

難病についての研修を受けてきました。

難病対策の法律はほんの数年前(平成27年1月「難病法」)にできたばかりで、対策は(高齢者介護や障害者支援に比べても)遅れに遅れています。難病の総数は7,000以上あると言われていますが、難病法が定める(助成対象となる)指定難病はまだ331です。

遺伝子検査の進化により、難病の判定検査が容易になりましたが、それに対する医療費助成だけでなく、患者さん・ご家族の肉体的そして精神的支援体制も十分ではありません。

難病の病名を告知された患者さん、そして患者さんの精神的ショックはとても大きく、(眼球運動以外の全身の筋肉が次第に衰える)ALSを発症した時には、2年後には自力呼吸ができなくなるという現実を突きつけられ、人工呼吸器を使うかどうかの選択も迫られます。

また、核家族化が進む中で、多発性硬化症のように若い女性が多い難病では、小さなお子様を誰が世話するかという問題もあり、本人だけの支援では不十分なこともあります。かといって、財政にも限りがあり国に頼れない中で、実際にはママ友や地域のPTAなど、周りが支えているケースも多いそうです。

講師である医療ソーシャルワーカーが昔、ハンチントン病など優生遺伝(50%お子様へ遺伝する)難病を発症した20代の女性から、「私、結婚してもいいのですか?」「子供を生んでも良いですか?」と聞かれた時には、何も答えることができず本当に辛かったという話も聞きました。(現在では難病医療推進センター等を持つ病院では、カウンセリングチームがあり、さまざまな悩み・相談にしっかり対応できる体制があるそうです)。

人には一人一人にそれぞれ人生があり、生き方・価値観・そして物語があります。難病のケースだけではありませんが、生活や命に大きな影響を及ぼしかねない疾患に対しては特に、病気を診断し、治すだけでなく、その人の生き方や価値観も聞きながら、何がその人にとっての最善なのか、医学的な知見だけでなく、本人の生活と人生において、医療行為の意味を捉え直し、医療チーム全体で患者さんの意思決定を支援していくプロセスが必要であるような気がしました。

 

2019-04-14 17:14:54

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緩和ケア研修会に参加して

大阪市立総合医療センターの緩和ケア研修会に参加してきました。

参加者50名中、43名が医師・研修医で、他は看護師3名、薬剤師・理学療法士・作業療法士各1名。そして。。。事務長(私)?!が1名。。
場違い感ハンパない中でしたが、とても有意義な研修であることは聞いていたので、どうしても受講したくて潜り込みました。(念の為、対象は全ての医療従事者となっておりますので、違法ではありません笑)

がん等などの病気で生命を脅かされている患者さんそしてご家族を、ただ病気だけ意識するのではなく、「身体的」、「精神的」、「社会的」、「スピリチュアル(人生の意味・死の恐怖・価値観の変化・死生観への苦悩)」 な痛み・苦しみをしっかりと理解・評価し、対応することによって、患者さんと家族のQOLを改善する取り組みです。

ですので、医師はもちろん、全ての医療従事者がこの緩和ケアを理解してチーム医療が必要となります。グループに別れて緊張感のあるケーススタディー(討論)、そしてロールプレイと、参加者の意識も非常に高く、あっという間に1日が終わりました。
治療できない悪性脳腫瘍を患ったお子様とご両親の苦悩そして、関わった全ての医療従事者の対応についての報告には、本当に心打たました。
最後には、現在転移がんとの闘病生活を送られている方ご本人による講演もあり、学びの多い1日となりました。研修に参加して本当によかったです。

2019-03-25 17:18:52

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死に際の選択肢(ACP)

リビング・ウイルという言葉を聞かれたことがある方は多いかもしれません。

自分が病気等で人生を終えようとする時期、つまり終末期について、
 ・どんな医療を受けたいか(受けたくないか)
 ・どんなことを大切にして暮らしたいか
 ・どこで過ごしたいか
 ・どこで死を迎えたいか
 ・判断能力を失ったら、誰に判断を委ねるか
 ・脳死になったら臓器提供を希望するか

などについて、判断能力があるうちに意思表示しておく指示書のことを言います。
つまり、「自分がどう死にたいか」を自分で決めるためのツール。素晴らしいことだと思います。

普及率は日本では5%程度ですが、リビング・ウィルの法的効力を認めるアメリカでは40%に達します。日本でも、延命治療の議論が出てきており、これから少しずつ普及が進んでいくかと思われていました。

ところがです。。
アメリカで衝撃的な研究結果が発表されました。1万人近くを対象にした大規模調査(リビング・ウイルを作成した人が、実際に自分の意志通りに亡くなられたかどうかの調査)において、せっかくリビング・ウイルを作成して残していても、殆どうまく活用されていないことがわかったのです。

その調査によって、以下のような問題点が浮かび上がりました。
 ・医療の緊急対応ドタバタ時に、リビング・ウイルが意識されなかったり、あるいはどこにあるかすぐに分らない
 ・差し迫った危機感のない時に書かれた文章では、複雑な治療選択に対応するのは難しい。
 ・家族や関係者とリビング・ウイルについてよく話し合われていない(書かれた内容の意図するものや背景について周囲がよく知らない)
 ・一旦作成されると、その後本人の病状や環境が変わっていいるのに、それが反映されず、現実にそぐわない(使えない)

→ つまり一人で考えて一人で作っても周囲がうまく活用できないことがわかったのです。

とはいえ、自分の人生だから最後まで自己決定したいというニーズは高まり続けます。
そこで、機能しないリビング・ウィルに変わり生み出されたのがACP(アドバンス・ケア・プランニング)です。これは、単なる本人の意思表示とは異なり、

本人・家族・医療者・介護者が日々の話し合いを通じて、本人の価値観を明らかにていくプロセスのことです。

プロセスですので、一度書き記したらおしまいというものではなく、日々の話し合いを通して、本人がどういう選択を望むのかということを、関係者で情報共有することです。そうすることで、本人の意思決定能力が低下したり、あるいは想定外の病状等になったときにも、周りが本人が望むであろう選択を取ることが可能となるのです。

リビング・ウイルに比べるとかなり作成のハードルが高そうな気がしますが、そうは言っていられない現実があります。日本は高齢多死社会に突入しようとしています。2025年には1年に160万人近くが亡くなります(それ以降も高止まり)。160万人といってもピンと来ないかもしれませんが、博多のある福岡市の全人口が大体160万人。つまり福岡市の全人口分の人が毎年亡くなられていく。各自治体・地域・家族において相当な混乱が予想されています。

自分がどのように死ぬかを予め家族や関係者と話し合って周知しておくことは、もはや避けて通れないことなのです。

厚生労働省は、終末期における選択決定についてのガイドラインを作っています(平成30年3月改定)。

「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」[PDF:101KB] 

「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」解説編[PDF:210KB]

ただ、このガイドラインに従ったとしても、実際に機能するACPを作成するには様々な困難が存在します。

一番の問題は、「人は十分な情報を伝えられれば、正しい判断ができるとは限らない」(行動経済学)。ということです。この、人が合理的な意思決定から逸脱する傾向を、バイアスと呼びます。

以下にさまざまなバイアスを列挙しますね。
・フレーミング効果:
 同じ内容でも表現方法が異なるだけで判断が異なる。
 例)「術後の生存率は90%ですよ!」vs「術後の死亡率は10%あります」では、手術を依頼する人の数が変わる
・現状維持バイアス:
 現在の状況を変えたくない(変化を嫌う)
・サンクコスト・バイアス:
 ここまでやってきたのだから今更やめられないという心理
・利用可能性バイアス:
 思い出しやすい記憶情報を優先的に頼って判断してしまう傾向。客観的な情報より、身近な経験を重視
 例)近所の奥さんが手術を受けて失敗したから手術は危険
・ネガティブな面に目が行つバイアス。ただ人は、新しい現実に直面すると適応する力を持つ
 例)「人工肛門になるなら死んだほうがマシだ」と考えていた人が、実際にその現実に直面して、冷静に考えた時に、人工肛門をつけても多少の不便さはあるものの、いままでと変わらず幸せな人生が送れることが分かると、受け入れるようになる。

つまり、難しい内容や不明確な未来について具体的な選択をするということは、間違いを犯すリスクがあるのです。

それに、「延命治療を望みますか?」と
いきなりそんなことを聞かれても具体的なイメージが全く湧きませんよね。
いや、そもそも少しでも元気に長くいきたいのに、死ぬときのことなんて考えたくもありません。
また、死について考える必要性を感じてはいても、それが「今だ」とは思えない。。

ここに終末期の選択の難しさがあります。

なので、いきなり全てを決めてしまおうとはせずに、
 当面、どのような治療を選択するか
 当面、どのように暮らしたいか
 当面、どのような不安・心配があるか
 当面、何を優先するか

という具体的な問題を通じて、意向・価値観の共有・すり合わせを(本人・家族・医療者・介護者間で)積み重ねるプロセスこそが、機能するACP作成の鍵となります。つまり、「死ぬ時はどうする?!」というヘビーな話をいきなり始めるのではなく、かと言って、先々の事について話し合うことから逃げない。地道な日々の話し合いの積み重ねと情報共有が大切なのです。

わたしも含めてですが、ぜひ皆様も一度考えてみられてはいかがでしょうか?

2019-03-20 15:07:05

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道頓堀ZAZA 落語・朗読ライブ

道頓堀のくいだおれ人形ビルの地下にある、道頓堀ZAZA(http://www.vitalartbox.com/zaza/performance/)で、落語をする頂く機会をいただきました。若手芸人が毎日のようにライブを行っている会場です。ZAZAの3つの会場のうち一番小さいZAZA Pocket'sでしたが、会場は満席、私が通う朗読教室主催のイベントで、先生と他の受講生と共に出演させて頂きました。

スポットライトを浴びながら、本当に真剣に聴いて下さるたくさんの皆様の前で緊張感を持って落語を披露させて頂くのはとても貴重な経験です。
ZAZAでは、毎日のように若手芸人による熱気あふれるイベントが行われております。私も今回の発表会がきっかけで、お笑いを時々観に行くようになりました。皆様も是非一度足をお運びください。

2019-01-31 11:51:07

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新世界朝日劇場

初めての新世界朝日劇場(たつみ演劇http://tatsumibox.com/
30~60代くらいの女性を中心に凄まじい大混雑、入口で押し合いながら立ち見しました。演劇でも独特の見得の切り方があり、またやや大げさにも思えるような感情を表現する所作も、とても勉強になりました。

人の感情や仕草を表現するのは、観察したそのままを出すより、特徴をデフォルメ(変形、強調)する方がよく伝わることが改めて理解できました(モノマネ芸人が本物より似てるというアレですね)。

見たかった女性役が少ないのが残念でしたが、学び多い観劇でした️。

2019-01-28 10:58:27

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「ぼけますから、よろしくお願いします。」

ずーっと気になってた映画やっと観れました。
認知症で自分の能力が失われていく喪失感、疎外感に苛立つ母と、文句1つ言わずに家事を全てこなそうとする大正生まれの父、そしてその姿をフィルムに残しておこうとカメラを向ける一人娘、それぞれの想いが映像から溢れ出る作品です。監督、カメラ、編集全てを娘さんが行ったドキュメンタリー、無駄な演出や解説は一切有りませんが、心を揺さぶられます。
限られた上映期間(今月18日まで)大阪はたった1つの映画館(シネマート心斎橋)で1日1上映のみ。こんな素晴らしい作品なのにガラガラの客席が寂しかった。。
http://www.bokemasu.com

2019-01-15 17:00:21

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認知症介護の理解

計7日間の認知症介護実践者講習に参加してみっちり勉強しています。本当にたくさんの気づきを得ることができましたので、皆様にも知っていただきたいと思い、復習の意味も込めてここに記します。

今や誰がなってもおかしくない認知症(2025年には日本で700万人に達します)。
ではあなたは認知症の方の何をみて、この人認知症かも?と思われますか?
 
認知症によって現れる症状は大きく2つに分けられます。1つ目は「中核症状」です。これは認知症になると必ず出てくる症状で、以下のようなものがあります。
記憶障害:特に近時記憶がすっぽり抜け落ちる
見当識障害(時間):時間的感覚がなくなる。昼と夜や季節が分からない
見当識障害(場所):道に迷う。トイレや電気のスイッチの場所が分からない
見当識障害(人):知っているはずの人が分からない。家族が分からない
実行機能障害:料理など作業の手順が分からない。物事の段取りがつかない
失行:服が着れない。パズルができない。
失認:人や物、音などを見たり聞いたりしても、それが何なのか認識できない
 
これらは、認知症になると(少しずつにせよ)必ず出てきます。避けることはできません。
 
一方、防ぐことのできる症状もあります。「行動・心理症状」です。これは、環境や周りの人の言動などによって引き起こされる二次的症状で、
妄想、徘徊、攻撃性、介護拒否、不適切な行動、昼夜逆転、焦燥
などがあります。これはみなさんが、認知症の人に対して一般的に持たれるイメージだと思います。
でも改めて言いますが、この「行動・心理症状」は、認知症になると必ず出てくるものではなく、環境や周りの人の言動によって引き起こされるものなのです。
 
どういうことかと言うと、、
認知症になると、今まで当たり前だった事が分からなくなったり、できなくなったりします。記憶障害で言えば、よくある「あれ何だったか思い出せない~」という記憶の一部消失ではなく、ある部分の記憶全体がすっぽり抜け落ちます。結果、記憶の連続性がなくなり、今自分がどういう経緯でこの場所にいるのか、なぜここに座っているのかが理解できなくなります。そこに見当識障害が加わると、自分のいる場所がどこなのか、そばにいる人が誰なのか、そして今は朝なのか夜なのかも分からなくなります。
 
人間の脳は、そういうシビアな状況に陥った場合、僅かな手がかりやヒント、自分のまだ持っている知識などから、最も考えうるストーリーを作り出し、それを事実だと思い込みます。それは健常者から見ると、妄想です
 
また、当たり前のことですが、自分のいる場所が分からなくなれば、それを確かめるために、周囲を歩き回ります。あるいは前述の妄想により、自分がこれからどこかに行かなければならないという結論に至れば、その自分の信じた目的地に向かって歩き出します。それは健常者から見ると、徘徊です
 
また身体介助(例えばおむつ交換や入浴介助)において、誰か分からない人が、分からない事を言いながら、分からない表情で近づいて身体に触れらたり動されたりした時、自分を守るため大声を出して拒絶反応を起こします。それは健常者から見ると、攻撃性であったり介護拒否となります。
 
つまりこれらの、健常者から見れば不適切な行動は、本人にとっては意味のある、目的のある行動なのです。ここに、認知症の理解、そして「行動・心理症状」を起こさせないケアの鍵があります。(「困った人」 → 「困っている人」の認識変更)
 
このユーチューブ映像を御覧ください。
https://youtu.be/7kKAq6lHgeY
 
映画館で(故意に)予定と違う映画が流されました。すると観客はざわつき、お大きな声を出したり、立ち上がったり、放映室に向かって手を振ったりしました。
知らない人がこの場面を見れば、観客の行為は明らかに不適切な行動です。
 
でも観客からすれば、違う映画が流されたという理由があるように、認知症の方の一見不適切に見える行動にも理由が存在します。つまり見たい映画(求めている物)に対して、違う映画(違う物)を見せられているからこそ出てくるのです。
 
認知症のケアにおいて、現れた症状を、その理由を探ることなく、単なる異常な行動とみなせば、無理やり静止したり、おやつを出すことによってごまかそうということになります。でも残念ながらそのようなやり方では収まらないどころか、さらなる焦燥感を生み出します。
出てくる症状の理由を知ることが認知症に対するあるべきアプローチとなるのです。
もちろん、十人十色の性格や歩んでこられた人生に起因する事が多く、それを知るのは容易ではりません。でも、それを探ろうという姿勢こそが、これからの認知症ケアに求められるものなのです。
 
いま、認知症介護における新たな理論「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」の考え方が求められています。
その人を中心に考えるというのは、昔から何度も言われて来たことですし、何も新しくないという気がするかもしれません。
でも、その人中心と言いながら、自分の(健常者の)価値観で、認知症の方の行動を判断し、本人の同意のないまま是正しようとしたり、その人の個性を見ずに「認知症の人」という目で見てたり、或いはしてあげるというケアをしている人はまだまだ多いのです。
 
長谷川式という認知症検査を考え出された長谷川和夫先生の著書から抜粋します。
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(ある物語)
足元のおぼつかない幼い子(1歳半位)が公園を歩いていました。ところが何かのはずみで転んで泣き出しました。するとそこに4歳くらいの女の子が駆け寄ってきました。
助け起こすのかなと思っていたら、女の子は倒れている小さい子の傍らに自分も腹ばいになり、幼い子を見てにっこり笑いかけました。
泣いていた子もつられて泣きやみ、にっこりしました。
女の子が「起きようね」というと、小さな子も「うん」と言って一緒に立ち上がり、手をつないで歩いていきました。
『認知症ケアの心』ぬくもりの絆を創る  長谷川 和夫著
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ケアが必要となった人に駆け寄り、そして上から引き起こすのではなく、まずその人の視点に立って、その人の力を信じて笑顔で声掛け促しをする、まさに「パーソン・センタード・ケア」の原点を示すようなお話です。

認知症の人は、認知機能(を担当する神経細胞)が障害を受け、言葉も失っていくため自分の不安や望みを訴えることはできませんが、感情や意欲は失われず「心」は生きています。言葉に出せない想いを、みつけてあげることのできる。そんな介護者になりたいと思います。

『私たちには言葉よりも、あなたがそばにいてくれること、私たちと思いを分かち合ってくれることが必要だ。私たちの感情と精神は、まだここにいるのだ。あなたが私たちをみつけてさえくれるなら』(「私は私になっていく-痴呆とダンスを」クリスティーン・ブライデン著)

2018-09-30 12:52:38

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BLS講習

日本ACLS協会(https://acls.jp/public/dispatcher.php?c=Top)が主催するBLS(一次救命処置)講習を受けてきました。
平日の講習ということもあってか、広い会場(大阪なんばトレーニングラボ)に、受講生はなんと私一人。。贅沢なマンツーマン授業でした(笑)。
いろんな救命シーンのビデオを見ながら、インストラクターとディスカッションし、人形相手にそれぞれの状況に応じた救命措置動作を繰り返し行い、最後には実技と筆記テストを行い、なんとか合格できて認定書をもらいました。


何らかの理由で、心停止となった人を見かけたとき、ほぼすべての人が119番通報まではしますが、実際に救急車が来るのは、それから9分前後。それまでに救命措置(胸骨圧迫、人工呼吸、AED)を行っていないと、救急車到着時点で救命できる可能性は10%に満たないそうです。なので、救命できるかの決め手は、その時たまたま周りにいた人が、必要な救命処置を取れるかどうかにかかってきます
人生のうち、そういう場面に出くわさない可能性もありますが、一方で救命措置が必要な状況に遭遇したのに、119番通報以外できず、救える命を救えないという事も起こりえます。

この研修を受けると、やらなければならない措置を繰り返し行うため、自信がつきます。
一般の方でも受講可能ですので、ぜひ皆様も受けてください。

2018-06-08 15:44:56

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初めての新郎友人代表スピーチ

昨日、生まれて初めて結婚式で(新郎友人代表)スピーチをしました。
 
新郎とは昨年9月に介護の研修で知り合い、8か月間同じクラスで学んできました。
15も年下ですが、明るく素直で考え方が前向きな男で、仲良くしていました。それでも1年にも満たない付き合いなので、結婚式に誘われただけでも、「えっ、僕が参加していいの?」という感じでした。それがその後、友人代表スピーチまで頼まれた時は仰天しました。
 
彼の友人だけでも20名が参加する中で、私への指名です。しかも私は彼の交友関係を知らない為、結婚式で知っている人がほぼいないという、完全アウェー状態。しかも、私は友人の結婚式というものに参加した経験が過去1回(15年前)しかありません。
 
ものすごく悩みました。彼は私を指名した理由について多くを語らなかったのですが、うれしくもあったので私も何も言わずに引き受けました。それから何度か、仕事と結婚式の準備に忙しい彼を呼び出し、これまでの彼の人生、そして彼女との出会いなどについてヒアリングを行い、そこへ、私が観察してきた彼の魅力をミックスさせて、結婚式会場で私が何を伝えるべきかを考え抜いて5分間のスピーチを作り上げました。
 
さていよいよ当日です。披露宴会場は横長の非常にコンパクトなレストラン、広くはないスペースにほぼ知らない人ばかり総勢70名がすぐ近く(一番近い人で1mくらいの距離)で聴くという一番緊張する会場パターンの中で、壇上に上がりました。
 
上がった瞬間、聴衆を見ながらこう感じました。(あっ、この人達、本当に温かい!これは形だけでなく心から本気で新郎新婦を祝福しているぞ!)
説明しにくいのですが、そう感じた瞬間に、完全アウェーの会場が、味方だけに囲まれたホームグラウンドに代わりました。
 
自分の言葉一つ一つに聴き手が反応してくださり、時には反応が大きすぎて、おさまるのを待たなければいけない瞬間もありました笑。
スピーチを作るにあたり一番頭を悩ませたのは、それまでなんとなく感じていた彼の魅力をいかに言葉にするかです。掘り下げて考え抜き導き出した彼の一番の魅力は、「人の話を聞く力」でした。
それを冒頭で紹介した時、会場の中で、彼と私よりも古くから付き合いのある男性7人組のテーブルを中心に声が上がりました。
「それ、それ、それやねん!!」
私が彼の魅力を伝え、そして彼の友人たちが賛同の声を上げる、それを聞いた新婦の友人、そして何より新婦のご両親の感慨深げな表情を見たとき、自分の役目は果たせたかなとスピーチしながらホットしました。
 
でも思ったんです。スピーチってかっこよく流暢に話せればよいのではなく、人に共感してもらってなんぼのものだって。
私の後に新婦さんの学生時代同級生のスピーチがありましたが、壇上に登るなり、新婦への気持ちがこみ上げて広げた紙を震わせながら、とつとつと語りだします。形だけを見れば、紙も見ず、(幸運にも)噛まずに話せた私の方が上なのかもしれませんが、彼女の思いのこもった言葉は、私なんかよりはるかに聴き手の心を揺さぶる最高のスピーチでした(私ももらい泣きしてしまいました)。
 
帰り際、乾杯前の最初のスピーチをされた、新婦の看護大学時代の先生が寄って来て声をかけて下さり、「あのスピーチは僕が今まで聞いたことのある中でピカイチだったよ。起承転結、新郎の人となり、新郎の苦労、スピーチの中に凝縮されていて、最後の言葉も素晴らしかった。本当によかった。」と言って下さりました。知らない人ばかりの中で、聴き手が少しでも共感を得てくだされるようなスピーチができたことは、ものすごい自信になりました。も~一夜明けた今でも興奮がおさまりません笑。
 
この勢いで、落語も頑張ります笑笑。

2017-07-09 13:02:20

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介護の本質

今日は介護の勉強を通じて、コミュニケーションの本質を学んだというお話をします。

私は今年から介護の仕事にも携わるようになり、とりえずヘルパーの資格を取ろうということになりました。

皆さん、いわゆるヘルパーさんの仕事ってどんな事が頭に浮かびますか?おそらく多くの方が、排泄・お風呂・食事、の世話をする人というイメージだと思います。実際私もそう考えてましたし、ヘルパーの資格なんて実技指導を受ければすぐに取れる形だけのもので、あとは現場で実践あるのみと思ってました。しかし実際には、130時間(1日7時間として19日間)ものカリキュラムがあり、しかもその半分以上が座学で、その座学のメインがなんと、いかに相手の事を理解し、そしてどうやって自分を受け入れてもらえるようにするかという、介護技術というよりむしろ話し方教室で教わるような内容だったので、非常に驚きました。

講習のボリュームが増え、中身も実技中心から座学が増えたのには理由があります。考えてみて下さい、排泄・入浴・食事の介助と簡単にいいますが、みなさんは他人の前で裸を見られたり、良く知らない人に自分の部屋に入るなりオムツ(下着)の中を確認されたり、正面から足を開いて陰部洗浄されたとしたら、どんな感情が起こりますか?年齢とともに嚥下機能が低下して、食事を飲込むのに時間がかかる人がいます。油断すると食べ物が気管に入りそうになります。皆さんがそのような状態の時、信用していない人があなたの食事介助について、食事を口の中に運び入れたら、落ち着いて食事を楽しめますか?皆さんであればその様な介護は全て拒絶すると思います。しかし、残念ながら実際に介護を必要とする立場になれば、他人の手に身をゆだねるしかなくなります。自分の気持ちをわかってもらえない、恥ずかしくて情けない介護です。

では一方で、介護する側はどうでしょう?たくさんの高齢者の相手をしながら、短時間に事故なく作業を終わらせることでいっぱいいっぱいで、相手の気持ちまで考える余裕はとてもありません。いそがしくてきつくて、しかも相手から感謝というエネルギーを受け取る事のない全くやりがいの生まれない介護の仕事。自然と介護というものが、お互い心の通い合う事のない殺伐としたものとなります。それがこれまで多くの施設で行われてきた介護です。介護する側もされる側も疲れ切っています。

あと10年もすれば団塊の世代が80代に突入し、すごい勢いで高齢者が増えている今、このような介護の現状を変えることは待ったなしの課題であり、だからこそヘルパー講習のあり方が変わったのです。

では、いったいどのようにすれば、介護される側に自然と感謝の気持ちが生まれるような介護が出来るのでしょうか?今のヘルパー講習では、高齢者の気持ちを理解し、本人に生きる意欲を持ってもらうようにすることが大切であると教えています。なぜなら、高齢者、特に介護が必要な高齢者になると、自分たちは周りに迷惑を掛ける存在で、社会から必要とされていない、そういう疎外感からふさぎ込みがちになるからです。

しかし、最近になってわかってきたのは、介護を必要とする高齢者が意欲を失えば、自ら積極的に動こうとしなくなり、結果としてADL(日常生活を行う上で最低限必要な動作能力)も悪化する。そしてそれが結局、介護する側にとってさらなる負担になるという悪循環に陥ってしまうという事です。

これからの介護士は、相手の事を、介護の必要なおじいちゃん、認知症のおばあちゃん、というように、病気や身体の状態だけに注目するのではなく、これまで長い人生を歩んできた、一人の人間として相手のことを尊重し、そして生きる意欲をもってもらう事が大切です。そうすれば、介護する側される側両者に絆が生まれると同時にADLの改善も期待できます。

最後に、イギリスの高齢者施設で亡くなられたある老婦人が残した日記を皆さんにご紹介したいと思います。これは亡くなられた後に手荷物の中から見つかったもので、それを見た施設長が施設スタッフ全員への貴重な教育教材として利用したものです。

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何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなくて
目をうつろにさまよわせて
食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気づかないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるがままに起き上がるこの私が
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか
私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は踊っていました
二十五歳で私は子供を産みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考え 不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました
いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心はふくらむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん 目を開けて見てください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!
(パット・ムーア著『私は三年間老人だった』より)
-----------朗読----------------

残念ながら看護師さんの目には、この女性が、のろまで恐ろしく手のかかるおばあちゃんとしか映っていませんでした。でもこの女性の内側には外見からは想像できない、喜びと悲しみの人生の軌跡、そして深く豊かな感性が存在していました。相手を理解し、そしてお互いに理解しあう事、これは人と人とのコミュニケーションの原則です。しかしそれを実践するためには相手の内側にある人としての本質的な価値を見つけようとする想像力が必要なのです。そんな想像力を私は介護の世界で磨いていきたいと思います。

2016-12-12 07:29:56

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