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市民セミナーのお知らせ

旭区医師会主催のセミナーでお話をします。
ご興味ある方はぜひご参加ください。


2017-09-09 15:23:26

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第3回落語演芸会

2017-08-04 18:26:09

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落語演芸会終わりました


2017-07-28 18:07:22

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初めての新郎友人代表スピーチ

昨日、生まれて初めて結婚式で(新郎友人代表)スピーチをしました。
 
新郎とは昨年9月に介護の研修で知り合い、8か月間同じクラスで学んできました。
15も年下ですが、明るく素直で考え方が前向きな男で仲良くしていました。それでも1年にも満たない付き合いなので、結婚式に誘われただけでも、「えっ、僕が参加していいの?」という感じでした。それがその後、友人代表スピーチまで頼まれた時は仰天しました。
 
彼の友人だけでも20名が参加する中で、私への指名です。しかも私は彼の交友関係を知らない為、結婚式で知っている人がほぼいないという、完全アウェー状態。しかも、私は友人結婚式というものに参加した経験が過去1回(15年前)しかありません。
 
ものすごく悩みました。彼は私を指名した理由について多くを語らなかったのですが、うれしくもあったので私も何も言わずに引き受けました。それから何度か、仕事と結婚式の準備に忙しい彼を呼び出し、これまでの彼の人生、そして彼女との出会いなどについてヒアリングを行い、そこへ、私が観察してきた彼の魅力をミックスさせて、結婚式会場で私が何を伝えるべきかを考え抜いて5分間のスピーチを作りました。
 
さていよいよ当日です。披露宴会場は横長の非常にコンパクトなレストラン、広くはないスペースにほぼ知らない人ばかり総勢70名がすぐ近く(一番近い人で1mくらいの距離)で聴くという一番緊張する会場パターンの中で、壇上に上がりました。
 
上がった瞬間、聴衆を見ながらこう感じました。(あっ、この人達、本当に温かい!これは形だけでなく心から本気で新郎新婦を祝福しているぞ!)
説明しにくいのですが、そう感じた瞬間に、完全アウェーの会場が、味方だけに囲まれたホームグラウンドに代わりました。
 
自分の言葉一つ一つに聴き手が反応してくださり、時には反応が大きすぎて、おさまるのを待たなければいけない瞬間もありました笑。
スピーチを作るにあたり一番頭を悩ませたのは、それまでなんとなく感じていた彼の魅力をいかに言葉にするかです。掘り下げて考え抜き導き出した彼の一番の魅力は、「人の話を聞く力」でした。
それを冒頭で紹介した時、会場の中で、彼と私よりも古くから付き合いのある男性7人組のテーブルを中心に声が上がりました。
「それ、それ、それやねん!!」
私が彼の魅力を伝え、そして彼の友人たちが賛同の声を上げる、それを聞いた新婦の友人、そして何より新婦のご両親の感慨深げな表情を見たとき、自分の役目は果たせたかなとスピーチしながらホットしました。
 
でも思ったんです。スピーチってかっこよく流暢に話せればよいのではなく、人に共感してもらってなんぼのものだって。
私の後に新婦さんの学生時代同級生のスピーチがありましたが、壇上に登るなり、新婦への気持ちがこみ上げて広げた紙を震わせながら、とつとつと語りだします。形だけを見れば、紙も見ず、(幸運にも)噛まずに話せた私の方が上なのかもしれませんが、彼女の思いのこもった言葉は、私なんかよりはるかに聴き手の心を揺さぶる最高のスピーチでした(私ももらい泣きしてしまいました)。
 
帰り際、乾杯前の最初のスピーチをされた、新婦の看護大学時代の先生が寄って来て声をかけて下さり、「あのスピーチは僕が今まで聞いた中でピカイチだったよ。起承転結、新郎の人となり、新郎の苦労、スピーチの中に凝縮されていて、最後の言葉も素晴らしかった。本当によかった。」と言って下さりました。知らない人ばかりの中で、聴き手が少しでも共感を得てくだされるようなスピーチができたことは、ものすごい自信になりました。も~一夜明けた今でも興奮がおさまりません笑。
 
この勢いで、落語も頑張ります笑笑。

2017-07-09 13:02:20

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落語演芸会「怪談噺」

2017-07-06 12:29:52

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バーベキューパーティ

当院屋上にてバーベキューパーティーを行いました。
普段は施錠して誰も入れない場所ですが、見晴らしの良い涼風の中、院長はじめ多くのスタッフ大勢が参加し大いに盛り上がりました。

2017-06-03 21:32:00

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新春落語演芸会 終わりました。

2017-03-28 07:22:28

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新春落語演芸会

2017-03-03 16:47:01

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介護の本質

今日は介護の勉強を通じて、コミュニケーションの本質を学んだというお話をします。

私は今年から介護の仕事にも携わるようになり、とりえずヘルパーの資格を取ろうということになりました。

皆さん、いわゆるヘルパーさんの仕事ってどんな事が頭に浮かびますか?おそらく多くの方が、排泄・お風呂・食事、の世話をする人というイメージだと思います。実際私もそう考えてましたし、ヘルパーの資格なんて実技指導を受ければすぐに取れる形だけのもので、あとは現場で実践あるのみと思ってました。しかし実際には、130時間(1日7時間として19日間)ものカリキュラムがあり、しかもその半分以上が座学で、その座学のメインがなんと、いかに相手の事を理解し、そしてどうやって自分を受け入れてもらえるようにするかという、介護技術というよりむしろ話し方教室で教わるような内容だったので、非常に驚きました。

講習のボリュームが増え、中身も実技中心から座学が増えたのには理由があります。考えてみて下さい、排泄・入浴・食事の介助と簡単にいいますが、みなさんは他人の前で裸を見られたり、良く知らない人に自分の部屋に入るなりオムツ(下着)の中を確認されたり、正面から足を開いて陰部洗浄されたとしたら、どんな感情が起こりますか?年齢とともに嚥下機能が低下して、食事を飲込むのに時間がかかる人がいます。油断すると食べ物が気管に入りそうになります。皆さんがそのような状態の時、信用していない人があなたの食事介助について、食事を口の中に運び入れたら、落ち着いて食事を楽しめますか?皆さんであればその様な介護は全て拒絶すると思います。しかし、残念ながら実際に介護を必要とする立場になれば、他人の手に身をゆだねるしかなくなります。自分の気持ちをわかってもらえない、恥ずかしくて情けない介護です。

では一方で、介護する側はどうでしょう?たくさんの高齢者の相手をしながら、短時間に事故なく作業を終わらせることでいっぱいいっぱいで、相手の気持ちまで考える余裕はとてもありません。いそがしくてきつくて、しかも相手から感謝というエネルギーを受け取る事のない全くやりがいの生まれない介護の仕事。自然と介護というものが、お互い心の通い合う事のない殺伐としたものとなります。それがこれまで多くの施設で行われてきた介護です。介護する側もされる側も疲れ切っています。

あと10年もすれば団塊の世代が80代に突入し、すごい勢いで高齢者が増えている今、このような介護の現状を変えることは待ったなしの課題であり、だからこそヘルパー講習のあり方が変わったのです。

では、いったいどのようにすれば、介護される側に自然と感謝の気持ちが生まれるような介護が出来るのでしょうか?今のヘルパー講習では、高齢者の気持ちを理解し、本人に生きる意欲を持ってもらうようにすることが大切であると教えています。なぜなら、高齢者、特に介護が必要な高齢者になると、自分たちは周りに迷惑を掛ける存在で、社会から必要とされていない、そういう疎外感からふさぎ込みがちになるからです。

しかし、最近になってわかってきたのは、介護を必要とする高齢者が意欲を失えば、自ら積極的に動こうとしなくなり、結果としてADL(日常生活を行う上で最低限必要な動作能力)も悪化する。そしてそれが結局、介護する側にとってさらなる負担になるという悪循環に陥ってしまうという事です。

これからの介護士は、相手の事を、介護の必要なおじいちゃん、認知症のおばあちゃん、というように、病気や身体の状態だけに注目するのではなく、これまで長い人生を歩んできた、一人の人間として相手のことを尊重し、そして生きる意欲をもってもらう事が大切です。そうすれば、介護する側される側両者に絆が生まれると同時にADLの改善も期待できます。

最後に、イギリスの高齢者施設で亡くなられたある老婦人が残した日記を皆さんにご紹介したいと思います。これは亡くなられた後に手荷物の中から見つかったもので、それを見た施設長が施設スタッフ全員への貴重な教育教材として利用したものです。

------------------------
何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの
あなたが私を見る時、こう思っているのでしょう
気むずかしいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなくて
目をうつろにさまよわせて
食べ物をぼろぼろこぼし、返事もしない
あなたが大声で「お願いだからやってみて」と言っても
あなたのしていることに気づかないようで
いつもいつも靴下や靴をなくしてばかりいる
おもしろいのかおもしろくないのか
あなたの言いなりになっている
長い一日を埋めるためにお風呂を使ったり食事をしたり
これがあなたが考えていること、あなたが見ていることではありませんか
でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ
私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が
あなたの命ずるがままに起き上がるこの私が
あなたの意志で食べているこの私が、誰なのか
私は十歳の子供でした。父がいて、母がいて
きょうだいがいて、皆お互いに愛し合っていました
十六歳の少女は足に翼をつけて
もうすぐ恋人に会えることを夢見ていました
二十歳でもう花嫁。守ると約束した誓いを胸にきざんで
私の心は踊っていました
二十五歳で私は子供を産みました
その子たちには安全で幸福な家庭が必要でした
三十歳、子供はみるみる大きくなる
永遠に続くはずのきずなで母子は互いに結ばれて
四十歳、息子たちは成長し、行ってしまった
でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました
五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました
愛する夫と私は再び子供に会ったのです
暗い日々が訪れました。夫が死んだのです
先のことを考え 不安で震えました
息子たちは皆自分の子供を育てている最中でしたから
それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました
いま私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です
老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談
体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ、
かつて心があったところにはいまでは石ころがあるだけ
でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
何度も何度も私の使い古しの心はふくらむ
喜びを思い出し、苦しみを思い出す
そして人生をもう一度愛して生き直す
年月はあまりに短すぎ、あまりに速く過ぎてしまったと私は思うの
そして何ものも永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです
だから目を開けてよ、看護婦さん 目を開けて見てください
気むずかしいおばあさんではなくて、「私」をもっとよく見て!
(パット・ムーア著『私は三年間老人だった』より)
-----------朗読----------------

残念ながら看護師さんの目には、この女性が、のろまで恐ろしく手のかかるおばあちゃんとしか映っていませんでした。でもこの女性の内側には外見からは想像できない、喜びと悲しみの人生の軌跡、そして深く豊かな感性が存在していました。相手を理解し、そしてお互いに理解しあう事、これは人と人とのコミュニケーションの原則です。しかしそれを実践するためには相手の内側にある人としての本質的な価値を見つけようとする想像力が必要なのです。そんな想像力を私は介護の世界で磨いていきたいと思います。

2016-12-12 07:29:56

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引き際の美学

皆さんは、引き際という言葉を聞いてどんな人の事を思い浮かべますか?やはり舛添さんでしょうか?政治資金の一部を生活費に使っているといわれて、すぐ謝らず「何も悪い事はしてません。全てきっちり処理しております。」なんていうものですからテレビや週刊誌のレポーターがうわぁ~と押し寄せて追及され、結局最後は追い込まれて、いやいや辞任させられました。ベッキーさんもそうでした。最初の記者会見で嘘をついたために、ずるずる事態を長引かせて、かえって印象を悪くしたように思います。
とにかく最近テレビを見てると往生際の悪い人のニュースが多いのですが、少なくても昔は、きれいな引き際の方がいらっしゃったと思います。私の中では誰が何と言おうと、山口百恵さんです。当時人気絶頂の21歳、突然結婚と同時に引退します。今でも忘れません、武道館ファイナルコンサートで最後の曲を歌い終わった後「幸せになります」とファンに言ったそのマイクをステージにおいて文字通りスターの座から降りて行きました。少し前ではサッカーの中田英寿さん、日本代表選手まだ29歳の若さでしたが、ブラジルワールドカップ終了と共に引退します。その最終戦でブラジルにボロボロに負けた後グランド中央であおむけに倒れこむその姿は、「俺はもう全てを出し尽くしたー」という気持ちが全身から溢れ出てる様な美しい引き際でした。
 
さて実はここからが皆さんにお伝えしたいところです。私が今回引き際について書こうと思ったきっかけは、なにも舛添さんじゃありません。もちろんベッキーさんでもありません。実は最近、仲の良かったテニス仲間を病気で無くしました。で、その方の死にざまといいますか、人生の幕の下ろし方を目の当たりにして、ああこんな人がいるのか、と深い感銘を受けて、それから引き際というものについて考えるようになりました。

私より一回り上で60前の方で、同じスクールに奥様と一緒に通われていて、お互い初心者だった事もあり、親しくさせて頂きました。スクールの生徒さんの平均年齢が大体20~30台でおまけにコーチは二十歳です。そのなかで痛風の持病のせいだと言って、いつも右足を少し引きずりながら、それでも真剣に汗だくになってテニスをしていた彼は相当浮いていましたが、とても魅力的でした。腕っぷしが強くて力任せで打つ悪い癖がなかなか治らず、自分の子供くらいの若いコーチにからボロカスに叱られても、「わしゃどんくさいからあきませんわ!」なんて笑いとばし、テニスが終わると大好きなアルコール補給のためなじみの居酒屋に一直線という様な大変豪傑な方でした。そんな性格にも魅力を感じて、時々一緒に飲みに行くようになりました。
昨年6月に飲んだ時に、体調が悪そうでひどい咳をされていたので、
私 「大丈夫ですか」
彼 「大丈夫大丈夫、これ喘息ですねん。」
私 「あーそうなんですかー。じゃ病院にかかられたんですね?」
彼 「いぇー、ワシ病院なんて行ったことないですわー」
なんて会話があり、まぁその人らしいといえばらいしのですが、それじゃいけないってことで、とにかく一度、病院行って調べてもらってください。もしそれが本当に喘息だとしたら、いまは飲み薬だけでなく吸入する1日1回シュッと吸うだけの良い薬もありますから、きっと良くなりますよ。と強く勧めました。で、それからレッスンに来られなくなりました。しばらくして夫婦揃ってスクールもやめらました。
心配になってメールを送ったものの返事がきません。でもまぁ、今は治療中で元気になったら戻ってきて、また一緒にテニスしたり飲んだりできるだろう、なんてなんとなく考えて、それ以上の連絡は控えておりました。
すると今年2月に突然奥様よりメールが届きます。そこには、「主人が肺癌で亡くなりました。生前は大変お世話になりました。」と書かれていました。えっ?びっくりしました。。と同時に、何故亡くなる前に教えてくれなかったのだろう、分かっていればせめて励ましにいってやれたのに、と正直憤りも感じながら、電話をかけて奥様に連絡をかけ、後日彼の自宅兼職場(彼は奥さんと一緒にカバンを作る仕事をしていました)に伺って事情を聴きました。
昨年6月に私が病院受診を勧められたその翌日に大きな病院を受診したそうです。そこで全身のCTを撮ってもらって出た診断が、肺癌の末期、肝臓や脳にも転移して、余命半年とその日に宣告されたそうです。その日の晩、彼は初めて奥様の前で泣きました。その時、施設の子供たちに自分の持っている技術を教えて独立を支援する活動を始めたばかりで、それができなくなる事が何よりもつらかったそうです。でもその時彼は、とにかく誰にも言うな、周りに心配をかけるのは嫌だからと病気の事については固く口止めされたそうです。
自宅で夫婦でカバンを作る仕事をされ、内職スタッフもたくさん抱えていました。そのスタッフにも最後まで病気の事は隠されていましたが、亡くなった後にお別れの会を開くように奥様に申し付けていました。スタッフはその会で初めて亡くなられた事を知ったそうです。その時スタッフに配られた彼からのメッセージを見せて頂きました。そこには、彼を襲った非情な運命に対するつらさ、嘆きの言葉はかけらもなく、自らの病気を自虐的に笑いとばしながら(例えば、癌が脳にも転移していたみたいです、自分が時々訳の分からんないボケをかまして皆さんを困らせたのは、決して私のせいではなく癌のせいでした笑とか)、そして自分は勝手気ままな旅に出るから、その後は自分の妻が引き継ぐので、どうか彼女をみんなで支えてあげてほしい、そしてどうかこれまで通り団結して欲しいと書かれていました。
そのメッセージを読みながら、あの明るくて優しい彼の面影が脳裏に浮かびあがりました。そこに私は彼の心を見ました、いきなり余命半年を宣告された時、彼が一番思い悩んだのは自分のことではなく、自分が死んだ後の事、特に奥様の事だったと思います。だからこそ心身ともに疲弊している中で、スタッフを動揺させない様にしながら、奥様に仕事を引継いで、そしてお別れの会とメッセージまで準備したのではないでしょうか。
私からのメールに返事していない事もを最後まで気にされていました。本当の事をいえばいろいろ迷惑をかけるし、かといって嘘はつきにくかったようです。
自分亡き後を考えることと同時に、彼は死ぬ間際まで自分らしく生きたかった。病人扱いされ、周りから同情されながら死を迎えるのなんか真っ平御免だったに違いありません。亡くなる1ヵ月前の職場で撮った写真を見せて頂きました。痩せ衰えていましたが、表情・そして目は以前と変わらずギラギラしていました。入院も最小限にしてもらってギリギリまで自宅で普段通り生活し仕事もされていたそうです。
 
人生においても自分がどうしても到達したかった何かを断念する、自ら幕を下ろし次に向かわなければいけない様な場面が何度かあるはずです。そこでどう判断してどう引き際を作るのかは、その時の心のありよう、かっこよく言えば「生き様」が現れてくるものだと思います。つまり引き際というものが、実はその人が一番大事にしている信条・信念を映し出す鏡であり、引き際を通してその人の心が見えてくる様に思います。
 
引き際は生きざま、そして死にざまにもつながります。
亡くなった友人のお墓参りさせて頂き手を合わせた後、彼の様なあざやかな死にざまを、果たして自分ができるのか、そのような生き方を今自分がしているのか自問自答した時、日々の生活に追われて、一番大切にしないといけない自分の心と向き合うことを忘れていたような気がしました。それはつまり自分がどんな生き方をしたいかということです。
彼が人生の引き際を通して、私にその事を教えてくれたような、そんな気がしました。
 

2016-07-03 15:04:45

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